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2014.11.06

思えばここには結構いろんなことを書いてきたね
積極的ではないけど公開してきた
受験のこともいろんなこと
王様の耳はロバの耳したくて
葦が発信しちゃってもよかった

でもいまはここもちょっとむりかな

前にも一度こういうことがあったね
けど結局戻ってきた

蓋を開けたらたいした傷じゃなかったんだよ
なのにそれに苦しむ自分を見られるのが
恥ずかしかったのかも

今の私は
恥ずかしいというか
それもあるかもしれないけど
どっちかというともったいなくて
なんか少し秘密にしたい気持ちもあったり

そんな感じ

私が今までで一番つらかった時期は
ここに書けたね

最近よくあの人のこと思い出す
以前の思い出し方とは違って
いまは本当に思い出なんだなあと感じる

私の中にはすずめという子がいた
私自身がすずちゃんではなかった気がする
そんなこというと変だけど

優しさという強さがあって
たおやかで

あの人に出会ったのは確かにすずちゃんだったけど
関係を築いたのは間違いなく私自身だった
短いようで長かったよね
なんだかんだで7年くらい

あの人は仕事と家族と仲間と自分を愛していたけど
それとは違う愛をたくさんもってる人だった
そこが多分あのときの私とうまく調和して

結局あの人は私の暗黒の友だった

恋のような気持ちだったけど
一番近い表現は先生だった

あの人は私に 自分のこと
私のおもちゃだっていってたけど
それもまたそれで真実だった

私たちの言葉が通じなくなったとき
本当に心が引き裂かれるようで
私もこのまま死ぬのかと思った

別れを告げる価値があったのだと思う
それがあのときの唯一の救いだった

結局今でも私は誕生日が近くなると
自分の年に30を足して
あのときからただただ
あの人が思うかたちで
幸せでいてくれたら、
私は本当にそれだけでいいと思って

はるかかなたの私でも
この小さな力が
水面を揺らしてあの人に届いて
なにか清められたらって
一生懸命でいようと

ときどき思います

今の私を作ったのは私だけど
やっぱりあの人の影響は大きくて
慕うってそういうことなのかな
時々仮の軸にしたっていいよね
おかげさまなので

不思議な気持ちだよね

最近それをよく思い出すのは
何でだろうね

まぜこぜのことがおきてるの先生

でもなんかね
私はすずちゃんから遠のいてたと思ってたけど
そんなことなかったよ

言葉で定義しないこと
思い出そう
ずるくないやり方のほうで

今の私がいつも一番
嘘じゃなくていつもそう感じる
ずっとそうであれば私
何も悲しいことないです

私が社会で生きるのは
自分を動かすためで

ときどき言葉とか
言葉じゃなくても何かを
どうにかして共有できるひとが
いたらそれは幸せだなあって思う

いや、ちがうかな

共有なんてできるかわかんない
それでもなぜか安心して
そのための発信をできる相手

それが信頼?
それがコミットメント?

そんなことを考えて多分私は
あのころの私に必要だったあの人を
先生としてときどき想うんだと思う

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